講師紹介
■ 新井一成先生
サイフロセミナーの教室長を務める新井先生の自己紹介です。
皆さんこんにちは。サイフロセミナー 講師の新井です。
私の人生の中で最も特徴的だったのは、やはり、6回にもおよぶ受験経験でしょう。
この貴重な体験を最もよく活かせる現場は教育業界しかないと思い、
たくさん受験したことに誇りを持って受験指導に生かしています。
1回目 幼稚園受験
いわゆる ” お受験 “。家族にテキストを買ってきてもらってひたすら解く。
中学受験でいうところの条件整理に当たる問題をえんえんと練習し、受験。
1勝0敗。細田学園幼稚園に入学。
※ 今年中学が新設されたばかりで、しかも受験科目が独特なため、何かと受験業界では話題に上がっていますね。
2回目 小学校受験
これも ” お受験 “。細田幼稚園には小学校がないため、外部受験するしかなかった。
やはりテキストは自分で選べないので、家族に買ってきてもらったものを解く。
面接は保護者同伴で、小学校受験は親の受験でもあることを痛感。
1勝0敗。淑徳小学校に入学。
3回目 中学校受験
ここからはっきりと自分で意思を持って受験。淑徳小学校からは、系列の中学・高校・大学と内部進学できたのだが、
クラス全員が受験するという異様な雰囲気に呑まれ受験を決意。
4年生後半から自宅で四谷大塚の 「 予習シリーズ 」 を使って学習をはじめるも、5年半ばで行き詰まり、
予習シリーズを扱う塾 ( 四谷準拠塾ではない ) に通塾。
6年頭に行った文化祭で、ある御三家の一角を非常に気に入り、御三家を志願。
通っていた塾がおそろしい量の自作プリントを行う塾だったため学校の授業中もプリントの対応に追われる。
この時の大量のプリントが現在の指導内容に役立っていることは間違いない。
( もちろん、当時のプリントそのものは1枚も残っていませんよ。
内容面でということ。 )
中学受験の問題ならどんな科目で何が出ても臆することなく立ち向かえるのはこの時の経験のおかげ。
特に理科・社会の知識がほぼ抜けがなく固まったことは日常面でも役に立っている。
人生で初めて、くじびきにより合否を判断されるというものすごく貴重な経験を味わう。
4勝2敗。東京学芸大学教育学部附属竹早中学校に進学。
4回目 高校受験
国立附属に入って金銭的に親孝行もでき一安心したのもつかの間、
なんと上位35%しか附属高校に内部進学できないことに気づく。
筑波大附属などは80%の進学率なのに、なぜ・・・・?
どうしても学芸大に行きたいと思い、塾を転々とするもうまく成績をあげられず、中学2年の終わりに、当時からスパルタで有名だったSAPIXに入塾。
うわさ以上の熾烈な内部生同士の戦いの中で、数学が得意科目であることに気づく。
逆に英語は留学経験者や帰国子女に押されて自信喪失。
壮絶な戦いに夢中になるがあまり、附属高校に進学するためには内申点が非常に重要で、
学校の中間・期末テストの点数で合否が半分決まることをすっかり忘れたまま本番突入。
SAPIX熱にほだされ、眼中になかった早慶附属を次々に受けるも、補欠ばかりでなかなか合格通知がもらえないまま焦って次の受験へ向かう悪循環に。安全校なんて考えていなかった。
受験は周りに流されてはいけないことを痛感。
2勝5敗。西武学園文理高等学校に進学。
5回目 大学受験
内部進学に失敗したのが相当悔しかったので、何としてでも大学で学芸大に戻ると決意。
高1はおろか、中3の3月から塾に通う気合いの入りっぷり。
塾のいいなりになるのではなく、自分で塾を使ってやる、という強い意思のもと、
数学はSEG、英語は平岡塾、物理は駿台予備校というように科目ごとに塾を分けて通塾。
参考書も手当たり次第書いまくり、数学・化学・日本史・漢文をガチガチに知識で固める。
” 照井の化学 ” や ” 石川の日本史 ” は今でも指導で用いる。
当時も、今と同じようにセンター試験が新課程1年目で、リスニング導入などもあって当時もセンター試験の予測がつかない、と言われていた。
そのため、圧倒的知識で問題を叩き潰すより他ないと腹を決めて暗記した。
特に日本史は、” 理系受験にあたって理系受験生が通常は3年生になってから、仕上がるまであまり時間のかからない政治・経済を学習するが、逆に言えば3年間仕込んだ日本史のほうが最終的な得点安定度は高いはず ” という常識の逆を行く発想で長期戦を決め込む。
特別選抜クラス ( 現・エリート選抜東大コース ) という、埼玉から腕よりの猛者が集まる緊張感漂う中、
先取り学習が徐々に威力を発揮しはじめ、
高1東進センタープレ 数学偏差値91
高2河合記述模試 日本史偏差値89
などを叩き出す。
センター試験の自己採点で数学196/200,日本史95/100が出た時に勝利を確信。
しかし、数学IIBが100点なのに数学IAが96点であることに若干の不調を感じ、
理系受験なのに東京学芸大学を数学科ではなく社会科で出願。
まさかのセンター後に第一志望のみ文転。担任や数学担当を驚かす。
この判断が功を奏し、第一志望に無事合格。自分の受験戦略を自分で立てることの大切さを体感した。
受験後、魔が差して私立の薬学部か国立の教育学部かで迷ったが、なんとか初志貫徹。
5勝4敗。東京学芸大学教育学部初等社会選修に進学。
6回目 大学院受験
大学2年次にサブプライムローン問題が、大学3年次にリーマンショックが発生。
学校教師になるものとばかり思っていたが、教員採用試験の倍率が急上昇し、就職意欲を完全に喪失。
時を同じくして、経済学者ケインズの『確率論』に大ハマりし、このまま研究者を志すのも楽しそうに思えたため、
大学院進学を決意。
あの受験はなんだったのか、と思うくらい、今までと異なる受験方法にびっくり。
特に英語試験に辞書持ち込みが可能だったことに非常に驚いた。
大学院は知識じゃないところで勝負しろということか。
1勝0敗。東京学芸大学教育学研究家社会科教育専攻経済学コースに進学。
人生合計 14勝11敗。
最後に受験生に一言
このように、私ははからずして6回25校もの受験をすることになりました。
合否がわかるたび、たくさん笑い、そしてたくさん泣きました。
そして、せっかく他の人より沢山受験をしてきたのだから、
これから受験する後輩たちに、受験の面白さを伝えてきたいと思い、様々な塾を見てきました。
講師として現場に立つのは今年で14年目となりました。公立中高一貫校対策に携わって6年になります。
横浜サイエンスフロンティア中学は、公立中高一貫校の中でもひときわ異彩を放つ中学に違いありません。
そしてそこに通うYSFH生も、各々が異彩を放っています。
合格のためにはほかの公立中高一貫校とも異なる、特殊な勉強が必要です。
先生とともに試行錯誤しながら、どうやって受かるか考えられる受験生をお待ちしています!