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アラン=チューリング 科学を作った偉人たち③

コンピュータの父 チューリング

アラン・チューリングは20世紀の数学者で、コンピュータの規則やプログラムの理論について考え出しました。
彼は第二次世界大戦を早く終わらせた戦争の英雄と呼ばれる一方、悲劇の研究者とも言われています。

高度な数学力

チューリングは若い頃から天才っぷりを発揮しています。文字を読むことを3週間で覚え、中学生の時、基礎を習っていない状態で微分積分の高度な問題を解きました。1928年、16歳でアインシュタインの論文を理解し、ニュートンの古典力学との関係性に自力で気付きました。
その後、ケンブリッジ大学キングス・カレッジへ進学、優秀な成績で卒業します。キングスカレッジには今でも「チューリング」と呼ばれるコンピュータ室があることからもその優秀さがわかります。

チューリング・マシン

チューリングの初期の研究成果は、コンピュータのもつ条件を決定したことでした。1935年、「計算可能性について」という論文で、チューリングマシンという、抽象機械の原理を示しています。
後に”ノイマン型コンピュータ”と呼ばれるこの発想は、当時の学友であるジョン・フォン・ノイマンも高く評価していました。何を持って機械を”コンピュータ”と呼ぶか、チューリングが大枠を決めたと言えます。計算可能性の理論には集合論などの高度な数学が使われますが、チューリングは、直感的に、情報が印刷された一本のテープの上を動き回る「マシン」がある、というわかりやすいイメージに置き換えました。
現在ではテープ本体やテープに読み書きをする「マシン」をハードウェア、テープ上に書かれた記号はソフトウェアと呼ばれます。これが、「アルゴリズム」という考え方を形式的に説明する手法となり、プログラミング分野の発展に大きく貢献しました。チャーチ=チューリングのテーゼとしても有名です。
ところで、コンピュータ内で一定の範囲内で機能するものを”アプリ”と呼びますが、このアプリも、チューリングのいうテープ上の記号ということですね。

ちなみに、「アルゴリズム」などというと難しく感じるかもしれませんが、基本的にコンピュータは足し算、引き算、掛け算、割り算しかできません。どんなに複雑なアプリも、この4つの組み合わせで動いています。このことを踏まえ、サイフロでは、平成30年の大問3で手回し計算機の問題が出題されています。登場する計算機は+-×÷しかできませんが、今のコンピュータもそれは変わらないという、チューリングマシンの本質を伝えたい問題といえます。

エニグマ暗号解読

チューリングはチューリングマシンの実現に向けて準備をしましたが、そんな中、第二次世界大戦が始まります。
チューリングは数学力の高さを評価され、イギリスのブレッチリー・パークにある暗号解読組織に入りました。
第二次世界大戦の前半、ドイツの潜水艦は「エニグマ」という暗号を使って通信しており、ポーランドはその暗号を部分的にしか解読できないうちに、ドイツに占領されてしまいました。
その成果は占領前になんとかイギリスに持ち込まれました。
ドイツに戦線布告したばかりのイギリスは、ドイツの暗号を必死で解読するよう、チューリングの組織にお願いします。
チューリングは機械には機械だと、「エニグマ」を解読する「ボンブ」という巨大な機械を作りました。当時暗号解読といえば相手国の言葉をしっかり学習する方法が一般的でしたが、チューリングは暗号の規則性に注目し、規則がわかればドイツ語がわからなくても解読は可能と考え、当時最先端の数学であった”群論”を使って規則を調べました。
チューリングのこの考えは大当たりし、1939年に空軍のエニグマ解読に成功しました。1940年には戦場で使われた実際の暗号を解読しました。ドイツ空軍の飛行機がどこを飛ぶ予定かを読み取り、イギリスは事前に砲撃の準備ができました。イギリスは空爆の被害を最小限に抑え、自国の防衛に成功します。
その後ドイツ海軍のエニグマも暗号解読に成功し、ドイツの潜水艦はイギリスにより次々と沈没させられ、イギリスは戦争に勝つことができました。
国を守るという大きな功績が認められ、騎士団勲章をもらったチューリングでしたが、戦争が終わった後も、今後の戦争があることを見越して、イギリスが暗号解読したことは伏せられます。それどころか解読情報を知っていたチューリングは常に政府の監視下に置かれることとなります。

ノイマン型コンピュータ “ACE” の開発

そのような逆境においても、チューリングは研究成果を続けます。まずチューリングはロンドンに移住し、コンピュータ”ACE”の設計を行いました。当時アメリカがコンピュータ開発を急ぎましたが、”ACE”はその影響を受けていないオリジナルのものでした。試作品である”Pilot ACE”が1950年に完成しましたが、その頃すでにチューリングはマンチェスターに移住し、”チューリング・テスト”の実験に取りかかる多忙っぷりでした。

チューリング・テスト

チューリングは機械に知性を持たせることが可能かどうか、熱心に考え、テストを作りました。
それは、機械がもし、人間らしい回答ができれば、機械は知性を持ったと判断してよい、というテストです。このテストは、人工知能のひとつの基準となりました。
具体的には、被験者は、ひとと機械の両方から、文字によるメッセージを受け取り、メッセージをやりとりします。被験者が自分が対話している相手が人か計算機か分からないのであれば、その計算機は”人工知能(AI)であると考えるべき”だというのがチューリングの主張です。チューリングの生きている間にチューリングテストに合格するコンピュータは現れませんでしたが、現在のAI研究においてもチューリングテストは一定の基準となっており、2013年にはロシアのAIが初めてテストに合格するという快挙を達成しました。
 受検生のみなさんに身近な人工知能としてSiliとかアレクサなどがあります。確かに、人間とまではいえなくても、自然な会話を続けてくれることが多いですね。

数理生物学

チューリングは晩年の2年間で、コンピュータと真逆の、生物学に関する研究に没頭します。ヒマワリの種とフィボナッチ数列の関係性を明らかにしたり、生物の成長パターンの微分の式を考えたりと、今まで数学的に表現できなかったものを数学で表すことを得意とし、複数の研究成果を挙げました ( いわゆるチューリング・パターン )
どの分野でも活躍できるチューリングはまさに天才といえるでしょう。

2022.02.03追記:チューリング・パターンが令和4年度適性検査II 大問1に出題されました。
サイフロセミナーの塾生は驚かずに落ち着いて解けたのではないでしょうか。

令和4年度解説速報はこちら。

突然の死と再評価

しかし、突然逮捕されたことなどをきっかけに、心身ともに限界だったチューリングは、1954年6月7日、青酸カリにより死亡してしまいました。この現場にはかじりかけのリンゴが落ちており、自殺の可能性が高いと言われています。
悲運の死をとげたチューリングでしたが、チューリングの計算機科学への貢献は大きく、コンピュータ分野で貢献した科学者をたたえるチューリング賞の創設につながりました。AIに関わる科学者の間では、チューリング賞の受賞は最高の栄誉とされています。
P最近、チューリングの業績の再評価が進んでいます。2009年、イギリスのブラウン首相が謝罪しとともに名誉の回復を宣言し、2013年にはエリザベス2世女王によって正式に恩赦が出されました。死後60年経って公的な評価が変わるのはイギリスでは非常に珍しいです。

その影響もあり、チューリングをモデルとする映画、「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」が2014年に公開されました。今後徐々に彼の評価は高まっていくでしょう。

さぁ、しっかり対策を行い、
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